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インカ帝国。11世紀ごろからクスコを中心に発展を始め、15世紀半ばに最盛期を迎え、エクアドルからチリに及び建設された大帝国。高度な文化と技術力を持っていた。インカとは、太陽の子を意味し、太陽信仰を中心として広大な帝国の統一を図った。
1522年にスペイン人が到達。10年後の1532年、謀略によってインカ帝国の王は捕虜となり、処刑されてしまう。この時のスペイン兵の数は、わずか168人。たったこれだけの兵により、インカ帝国はスペインの支配下となり、ひとつの国と文化は滅んでしまった。
かつての首都であった、クスコの町並みは美しい。中心に噴水のある広場、大きな教会と鐘の音。白い壁、茶色で統一された屋根瓦。石畳の道と階段は年月を積み重ねた光沢をたたえている。標高3,500メートルに位置するこの町の空は、青く清く澄んでいて、白い雲とのコントラストが眩しい。
しかしその町並みの美しさは、どれもこれもスペイン人が築き上げた建築物による美しさでしかない。インカ帝国のなごりは、わずかに点在する石組の壁と、高地の強い日差しで日焼けした老人たちの顔、老婆がまとう民族衣装、そして多種多様な観光客用のお土産物しかない。
インカ帝国が築いた文化はことごとく滅び去り、すべてが遺跡となり果てた。南米の多くの国々がそうであるように、ペルーもまた、スペイン語を公用語としている。文化そのものである言葉も、宗教も、すべてが置き換えられてしまった。
そして唯一、スペイン人の侵略の手を逃れたのが、空中都市、マチュピチュだった。
1911年、アメリカ人探検家によって発見されるまで、滅亡から400年近くの長きにわたり、人知れず、インカ帝国の失なわれた遺産を守り続けていた。
マチュピチュはクスコの北西約70kmに位置する。首都からわずか70kmの距離で侵略を免れたのは、アンデスの山々と険しい地形が、その存在を侵略者の目に触れさせず、近づくことを許さなかったからに他ならない。
標高2,400メートル、三方が急斜面をなす切り立った山の頂きに、突如現われる町。空中都市と呼ばれる所以である。朝霧の間から垣間見るその姿は、空に浮かぶ都市の名に相応わしい。
人口は1,000~1,500人ほどの規模だったと考えられており、実際には都市と呼ぶには小さすぎる。中央に広場と神殿があり、居住区には住宅がならぶ。200以上の建造物があり、町を囲む急斜面は段々畑になっている。水場は一箇所しかなく、誰もいなくなった現在でも、水は石の水路を通って斜面を流れ下っている。
細い路地と階段が縦横に巡っていて、自由に移動でき、広くも感じる。しかし、もしそこに1,000人以上が住むと考えた場合、ひしめき合う観光客にうんざりするのと同じで、かなりの閉塞感を強いられるだろう。
人々はここで自給自足の暮らしを送っていたとされる。インカ宗教の聖地であったとする説や、クスコから逃亡してスペイン人に抵抗するための、最後の軍事的拠点だったとする説もある。しかし実際には、マチュピチュが作られた目的も、いつ、なぜ放棄されたのかも、わかっていない。そしておそらくは、永遠に謎のまま。
僕は、この狭い山の頂で、1,000人以上の人間が暮す様子を想像した。
朝日が山の稜線の谷間から差し込んでくると、神殿では太陽信仰の儀式が始まる。一箇所しかない水場の水量は多くはない、きっと水汲みの長い行列ができただろう。食事を作るための薪が燃やされ、あちこちから煙が立ち上り始める。そしてそれはゆっくりと朝霧の中へと溶け込んでゆく。
階段を登り下りする際、路地を通り抜ける際、行き違う人々に道をゆずる。通路はどこも狭い。階段は自然石で作られており、滑りやすく、転んで怪我をする人や、そのまま崖を転落して死んでしまう人もいたに違いない。子供が走りまわり、家畜がうろつき、日中は喧騒が途絶えることはなかっただろう。今でこそ芝生の緑に覆われ、美しい姿をしているが、当時はかなり劣悪な生活環境だったのではなかろうか。
疑問はいくらでも湧いてくる。死んだ人はどこに埋葬したのか、遺骨は発見されたのか。1,000人分の糞尿を、どうやって処理したのか。とうもろこしを主食としていたようだが、こんな高地で獲れる作物だけで、人体に必要な多様な栄養を確保できたのか。
人々がいなくなったのは、燃料である木を使い切ってしまったからかもしれない。大量の糞尿により、唯一の水源を汚染してしまったのかもしれない。もしくは伝染病が蔓延したのか。
この狭い土地だけで完全な自給自足を行なっていたとは思えない。服や装飾品、土器、鉄器、農機具、家畜、もしくは武器、必要なあらゆる物資を、この猫の額のような山の上だけで作り出せるとは考えられない。
当然、他の町との交易があったはずだ。そしてそれはスペイン人の侵略とともに閉ざされた。人々は町を捨てる選択をせまられ、移住を余儀なくされたのではなかろうか。
人間がひとりでは生きていけないのと同じように、町は交易なしには生きていけない。単純な理由で人々はいなくなった、謎に包まれた神秘的な理由などなく、たったそれだけのことではなかったのか。直接的にしろ間接的にしろ、結果的には、侵略の手はここまで影響を及ぼしたのではないか。
そして数百年間、誰ひとりこの町を訪ずれる者はなく、登って沈む太陽に祈る者もなかった。長い年月をかけて、静寂がマチュピチュに神秘性を与え、そして僕ら観光客が、喧騒を蘇えらせると同時に、その神秘性を剥ぎ取っていくのかもしれない。
マチュピチュは数百年も誰にも発見されていなかった都市だなんて、知らなかった。。。神秘的ですね。
でも、生活するの大変だっただろうな。
ではでは 気をつけて良い旅を〜
クスコは寒いですか...
マチュピチュはやっぱりイイですねー!
あの石をどうやってあそこまで持ち上げたのか気になるし
隙間なく積み上げた技術って本当にスゴイと思うし。
もっと沢山勉強したいな。。
良い旅を!!
yuiです!!
元気ですかー!!おひさしぶりです。日本行って、帰ってきました。まだここで英語と芸術の勉強すつつもりです。ついで時間があればに中国語も!なんて、よくばりすぎて、成長はいまいち。です。
写真きれーですねー。旅行したいなぁ。。。なんてぜいたく?
マチュピチュは大規模な岩盤崩落の危機に晒されているそうです。世界遺産の中には自然による危機が迫っているものが多いんですね。行けて見れただけでも幸せですね。
マチュピチュ、行きたいな!神秘的でいいですね!まだ南米には行ったことがないので、大輔さんが羨ましいです(*^-^)b
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