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| アフガニスタン逆戻り | アフガニスタン周遊バスの旅 ~ 地雷と竜巻と蜃気楼 |
夕方の6時にマザーリシャリフを出発。南へ下って首都カブールを通り、さらに南のカンダハールを経由して、西のイランへと続くヘラートへ向かう。時計回りに、ほとんどアフガニスタンを一周してしまう 二日間、1,500km の道のり。
出発の予定は夕方6時のはずだったが、実際には6時になってから乗客を乗せ始めた。一人一人の名前を呼び、君はここ、あんたはあっち、と席を指定していく。この席は嫌だと言い出す人もいれば、見送りの為に乗り込んでくる人もいて、まったく収集がつかない。出発は7時になった。
大型の旅客バスは意外と立派で、僕の知らないヨーロッパのどこかの国の文字が車体に書かれている。エアコン用に設計されていて窓は一切開かない、問題はそのエアコンはとっくに壊れていて、後部席はサウナと化している。僕は幸い一番前の運転手の真後ろだったため、常に風が入ってきて快適だったが、夜は凍えるほど寒いし、昼間は砂埃が容赦なく入ってきた。
運転手は途中一回だけの休憩で夜通し運転し続け、夜が明けて一日が始まり、町が目を覚ました頃、カブールへ到着した。数人の乗客を乗せ換えると、こんな町には用は無いとばかりに、運転手はまたハンドルを握ってアクセルを踏み込んだ。
運転手の横には、もう一人乗務員がいた。僕はこの男が交代で運転するものだとばかり思っていたが、もう一人の男は整備士で、運転はひたすら一人で行うらしい。
南部の町、カンダハールまでは快適だった。道は大部分が舗装されているし、舗装が途絶えた所でも大型バスの巨大なタイヤと力強いサスペンションが衝撃を吸収してくれた。これがバンや乗用車だとそうはいかない、細かな衝撃まで全身を伝わるので軽い脳震盪を起こすし、筋肉は硬直し、関節が軋み始める。
昼頃にカンダハールへ到着。しかしバスは停車さえもせず、町を素通りした。タリバンの暗躍する町で下りる客もいなければ、長居も無用ということだろうか。
カンダハールを抜けると道路の状況は急激に悪くなった。どうやればコンクリートの舗装がこんな状態になるのだろう、縦横に深い溝が刻まれていて、時速 20km しか出せない。戦車で踏み潰してしまったのだろか。道路を使えなくするために、わざと破壊したとしか思えない。
道路を横断して人為的に溝を掘った跡もある、検問の為だろうか、スピードを出したまま突っ込めばホイールまで壊れるだろう。コンクリートがズタズタになった円形の大きな穴もよく見かけた、明らかに爆弾の跡だ。
バスは右に左に深い溝や穴を避けながら、破壊されたままの橋を迂回して、時速 20km でガタガタと走り続けた。
夕陽が赤く染まり始めた頃、デララムという小さな町のレストランで停車した。出発から24時間が経過していた、運転手は一睡もせずにここまで運転してきた。お祈りの時間は一切なかった、停車するのは食事と給油の時だけで、年寄は死んでしまうのではないかと思うほど、椅子に座りっぱなしだった。
僕はいつもの食事時のように、30分もすれば慌しく出発するものだと思い、物陰の材木の上に座って、黄昏のひとときの中で体を休めていた。出発して以来、僕はスニッカーズ一本と、水とジュースしか口にしていない。
アフガニスタンの料理は大量に羊の油を使うせいだろうか、ゲリになりやすかった。ゲリでバスに乗るほどの苦痛は他にない、そもそも休憩所にもトイレというものがない。女性は一体どうするのだろうと不思議に思う。僕は二日間の行程をスニッカーズ三本だけでやり過ごす覚悟だった、残りは二本。
ところが暗くなってもバスが出発する気配はなかった。みんなモスリムの同じ格好をしていて、みんなヒゲをはやしている中から、僕は運転手を探して回った。運転手はレストランのベランダで大麻を吸っていた。酒が禁じられているモスリムにとっては、大麻が酒の代りなのかもしれない。
彼は英語を一言も話せない。身振り手振りで今日はここに泊まるのかと尋ねると、そうだと言う。出発は朝の3時か4時、クラクションを鳴らすから起きてこいと大雑把だ。
僕は確認のため、バスで何度も話しかけてきた英語を話せる若い男を探した。男の姿を見つけて話しかけると、男は僕の目の前まで顔を近づけて囁いた。
「ここはタリバンの中心地だ、英語は話すな」
そんなことは先に言ってくれ、できることなら出発前に言って欲しい。僕はさっき運転手を探して、あちこち歩き回ってヒゲの男達にジロジロ見られている。
「見ろ、俺はモスリムの服に着替えた」
男はさっきまでジーンズを履いていたのに、いつのまにか着替えている。僕も変装用に一着買ってあるので、知っていれば着替えたのに。
アフガニスタン人にとってもタリバンは恐ろしい存在で、殺されることもあるという。外国人ならなおさらだ、えらい物騒なところに来てしまった。
レストランには宿泊できる部屋があり、僕はその部屋を用意してもらってさっさと寝ることにした。部屋には布団も枕も無く、絨毯の上でゴロンと寝るだけだったが、僕はこれ以上ないほどに疲れていたので文句などなかった。文句以前に選択肢が他にない。
もしタリバンが押し入ってきて僕を殺そうとしたら、仲間になるから殺すなと言えばいいだろうか。そしたらモスリムになって一日五回のお祈りをしなければならない。残り二本のスニッカーズは差し出そう、三年くらい丁稚奉公したら開放してくれるだろうか、もしかしたら消息不明のオサマ・ビンラディンにも会えるかもしれない、それはすごい。
どうでもいい非生産的なことを考えていると、固い、汚れた絨毯の上で、極限まで疲れていた僕は深い眠りに落ちた。
興味あるバスの旅、無事に国境に着いて。アフガンが何故現在の様になったのかな?9−11から?ソ連が10年間かな支配しようと、結局は自国の体制が変わって?引き上げた?詳細は忘れた。
アメリカが巨大で、将来は中国が巨大になる。
印象に残る「旅」であります様。
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