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| バラナシの聖なる牛 | 遅すぎるインターネット |
インドのバラナシには、いろんな動物がいる。ほとんどは家畜だけど、牛、ヤギ、犬、猫、イタチにネズミ、あたりを見回せば何かしらの動物が視界に入る。
日本ならちょうど、どっちを向いても車が走っているように、ここではどっちを向いてもそこには動物がいる。中でも驚いたのはサル、そう、猿。
牛や犬が路地裏の隅々まで徘徊し、人間が捨てたゴミ、もしくは与えた残飯なんかを食べて暮らしているのに対し、隙間なく建てられた建物の屋上を支配しているのは猿軍団。隙あらば盗むを働く、窃盗グループ、賢い奴ら。
天気のいいある日、僕は宿の屋上で太宰治の短編集を読みながら、風にそよぐ自分の洗濯物を見張っていた。しっかり見張っていないと、猿どもが持って行ってしまうのだ。
屋上から見回せば、どこかに猿が潜んでいる。仲間同士毛繕いをやっている平和な奴らもいれば、人間に棒で追い払われている奴ら、縄張り争いで大喧嘩している奴ら、どこかに猿がいる。
プラスチックの固い椅子に座って、太宰治の暗い文章を読んでいると、最初に現れたのは猫だった。
足音もさせず、僕のことなど見えもしないといった態度で屋上の真ん中をスタスタと歩いて行き、突然ピタッと動きを止めた。4本の足を折り曲げ体勢を低くして "狩り" の姿勢になった。その視線の先を追うと、屋上をぐるりと取り囲んでいる高さ 1.5m ほどのレンガの塀の上に、一匹のリスがいた。
リスは塀の上から、下を覗き込むような格好で首を突き出していて、猫の存在にまったく気付いていない。首さえ上げていれば、リスのように頭部の側面に目が付いている動物ならば、たとえ背後から迫られても猫の存在に気付くだろう。
僕がリスだと気付いたと同時に、猫は空から飛来したツバメのような速さで屋上のコンクリートの上を滑り、塀に飛び乗ると同時に獲物を口の中に納めていた。すべてが無音のまま行われた、音の出ないテレビを観ているようだった。
チチチと、リスの鳴く声が静寂を破り、また静けさが戻る。ご馳走を咥えた猫は、用心深く狩りの姿勢のままあたりを見回していた。横取りする奴が現れるのかもしれない、たぶんそれは猿だろう。
猫の口から、力の抜けたリスの首と、長い尻尾がダラリと下がっている。猫は警戒したまま、物陰から物陰へと消えていった。
太宰治に疲れて、僕は気分転換に体を動かそうと思い、腕立て伏せや空手の練習なんかをして汗を流していた。隣の屋上の子供がそれを見て、はしゃぎながら真似ている。
そこへ、ついに奴らが現れた、猿だ、奴らは群でやってくる。
手を伸ばせば届きそうな距離、レンガの塀の上を、平然と歩いている。僕の背後にも、屋上のもう一段高くなった頭上にもいた。
僕の目の前を通り過ぎた猿は、塀から飛び降りると、干してある洗濯物へと躊躇なく歩み寄った。ただ通り過ぎるだけかと思ったが、手を伸ばしたので、僕は声を上げて威嚇した。
猿どもは一斉に牙を剥いて奇声を上げ始め、5匹ほどの猿が僕を取り囲んだ。洗濯物に走り寄ると、猿は塀の上に飛び乗って牙を剥き、ギャァギャァと甲高い声を上げた。
僕はそのまま塀の上の猿を蹴る真似をして、空手の上段蹴りを出すと、猿は苦もなくヒョイと隣の屋上へと飛び移る。5、6階の高さだから落ちれば死ぬが、猿は落ちない。
逃げた猿の手には洗濯バサミが握られていた。猿が手を伸ばしたのは、洗濯物ではなく、洗濯バサミだった、その外し方も知っていた。
一匹追い払って後ろを振り返ると、他の猿が、今まさに太宰治の本に手をかけようとしている。慌ててまた走り寄ると、猿は驚いて本を落とし、塀の上を走り距離を取った。
冗談じゃない、読みかけの太宰治を猿に盗まれたとあっては、それこそ人間失格だ。
猿どもの威嚇の奇声は止むことなく、僕との一定の距離を保って周囲を取り囲んでいる。僕もさすがに身の危険を感じて空手の構えをとり、順番に近づいてくる猿を、蹴りを振り回して遠ざけた。
一匹の猿がプラスチックの椅子に飛び乗り、それをガタガタ揺さぶって威嚇を始めた。奴らは頭がいい。
僕は椅子ごと思い切り蹴り飛ばし、驚いて逃げていく猿どもを追いかけ、隣の屋上へとすべて追いやった。
小さな猿たちだったからよかったものの、ボス猿でもやってきたら大変だ。体は2倍ほどあるし、ボスは本気で戦おうとするだろう。強靭な顎と鋭い牙で噛み付かれたら酷い怪我をさせられる。
あんな忍者のような奴らと、生身でそうそう戦えるものではない。それに多勢に無勢だ。僕はまだ乾ききっていない洗濯物を丸めて、太宰治を引っつかみ、屋上から退散した。
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