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海印寺 出会いと再会のソウル

慶尚南道 海印寺

The Day 28 - 2002-12-04 Wed 22:20 Busan, Korea… Massive Attack - Simple Rules

自由へのルール

「英語か日本語を話せますか?」 バックパックを背負い、慶州のバスターミナルの観光案内所にいた若い女性に尋ねると、「英語でどうぞ…」 との返事。慶尚南道のカヤ山にある海印寺 (ヘンインサ) へ行きたいと伝えると、乗換えの場所や、所要時間など、メモを書いて親切丁寧に教えてくれた。彼女がすごく美人だったのも手伝って、僕は必要以上にニコニコしながら丁寧にお礼を言って、早速チケットを買い、高速バスへ乗り込んだ。

韓国の高速バスはものすごく高速だが、高速な中でも丁寧に運転する運転手も、もちろんいる。誰も彼もが命知らずな運転をするわけではなさそうだ。また、高速バスは速いだけではなく、国内隅々まで路線が発達していて、しかも10分や20分おきに次々と出発するので、便利なことこの上ない。大抵の場合、途中下車は無いので、乗ってしまえば、後は目的地まで寝ている間に連れて行ってくれる。韓国の国内を移動するにはバスが一番だ。乗換えの東テグのバスターミナルまで2時間ほどだったろうか、ぼんやり外を眺めたり、眠っていたのであまり時間の感覚がない。

僕は、この旅にいくつかのルールを自分で作っている。その中のひとつに、"時間に縛られない"、というのがある。すべて行き当たりばったりで、どこに何日宿泊だとか、どこを観光だとか、先に何も決めないということだ。先に何も決めないのだから、ガイドブックは一切持っていない。あるのは世界地図が一冊。宿の予約も一切しない。予約をすれば、必ずその日にそこへたどり着かねばならない、つまり時間に縛られる事になる。人気のホテルや、旅行シーズンでもない限り、予約がなくても大抵の場合、文句さえ言わなければ安宿はどこでも見つかる。

もちろん、まったく時間に縛られないわけではない、交通機関には出発の時間があるし、宿にはチェックアウトの時間がある。僕が言う、時間に縛られないとは、自分自身を時間で縛らない、という事だ。だから、この旅がいつ終わるのかは、僕にもわからない。行きたいと思う場所はあっても、必ず行かなければならない場所はない、当然ゴールもない。体力か気力か、お金が尽きれば終わりということになるのかもしれないが、いつ尽きるのか、何が起こるか予測不可能な、風まかせ運まかせな旅なのだから、やってみないことには分からない。

時間に縛られないというのは自由でもある。僕はこの旅に自由を求めている。ひとり旅、どこへ行くのも行かないのも、すべてが自由。その時の気分次第で道を選ぶ。しかし、僕が求めているのは、時間的、社会的な自由だけではない。自分自身を縛り付ける固定観念から逃れる自由だ。

人間は、国家、地域、会社、学校、宗教、いろんな集団の中に属して生きている。そして、その集団の中のルールだけで生きていると、知らず知らずの内に様々な固定観念が植えつけられてゆく。国籍、人種、宗教、利害関係の違い、貧富の差、それぞれの立場が違うと、物事の見え方が違う。この見え方は、同じ場所に居る限り、同じ側面しか見えない。そして、いつも同じ物を見ていれば、人間は固定観念に囚われていく。

僕はこの固定観念から自分自身を解き放ってみたい。計画も立てず、ゴールも無い、運を天に任せ、日々起きる事柄すべてを受け入れる。幸運も悪運も違い無く、ただ、あるがままに受け入れる。人の親切はありがたく受け入れ、無礼な行為は笑って受け入れる。世の中をありのままに、偏り無く見据えてみたい。様々な国を訪ね、生活習慣、文化、法律、人々と接し、自ら体験することにより、"自分自身を固定観念から解き放つ"、これがもうひとつの自由へのルールだ。

静かな場所

海印寺の宿場町

東テグのバスターミナルで、海印寺行きのバスへ乗り換えるのはいいが、はたして海印寺の近くに宿はあるのだろうか、ふと疑問に思った。そもそもこの海印寺へ行こうと思った理由は、釜山のゲストハウスに誰かが置いていった地図か何かに "世界遺産 海印寺" と書いてあったという、それだけの理由だ。どこを目指すべきか目的らしいものもないので、とりあえず世界遺産でも見ておけ、という単純な理由でしかない。山の中に静かにたたずむお寺、それ以外には、どんな所なのかまったく知らない。もし、本当に静か過ぎて宿さえなかったら、どこに泊まろうか。寝袋をバックに入れてあるとはいえ野宿するには寒すぎる。

宿があるかどうか、一応、バスターミナルの人に尋ねてはみたが、英語はまったく通じない。「海印寺まで何分ですか?」 それも通じない。紙にその英文を書いたが、誰も理解できず…。しかし、問題なのは、英語を理解できない彼らではない、韓国で韓国語を一言も知らない僕なのだ。でもまぁ、よく考えてみれば、お寺には人だって住んでいる。何とかなるに違いない、僕はとりあえずバスに乗った。

バスは普通の路線バスで、田舎のお年寄りや、学校帰りの子供達なんかが、乗ったり降りたりを繰り返し、だんだんと町が村になり、村が山になり、バスの乗客も数えるほどになると、道が蛇行し始め、傾斜がきつくなり、渓流の流れが激くなった頃、終点の海印寺のバス停へたどり着いた。最初に目に飛び込んできたのは、たくさんの温泉マーク、もう見慣れた宿の意味だ。あっちもこっちも、宿、宿、宿、なのだ。何も心配することはなかった。でもまぁ、もっとよく考えてみれば、世界遺産でもある有名な観光地、宿がないはずがない。

12月の半ば、季節外れな上に平日の午後、バスから降りた観光客は僕ひとり。他は地元のお婆ちゃんだとか、物売りのお婆ちゃんだとか、つまりお婆ちゃんばかりだ。どこの宿もレストランもひとけがない。営業しているのかどうかもよくわからない。荷物を背負って坂道を登って行くと、数件目の宿の外で洗濯をするおばちゃんを発見。一瞬目が合うと、「観光客が来たわ!」 といった感じ。その人の良さそうなおばちゃんの宿に、その夜は泊めてもらうことにした。


ホーリーウォーター

冬の静かな渓流

渓流の濁り具合からみて、昨日の夜はだいぶ雨が降ったようだが、僕が海印寺へ着いた頃には、すっかり空は晴れていた。道路わきの立て看板の地図によると、海印寺は宿屋街から、さらに山の中まで登ったところにあるらしい。日暮れまでまだ時間がある、途中で日が暮れたら帰ってくることにして、僕はまた、とりあえず山の中の海印寺を目指した。僕は、この寺をずっと、とりあえず目指している。

土産物屋を覗いたり、石塔や石碑の説明を読みながら、とぼとぼ山道を登っていく。途中、水飲み場の湧き水を飲んでみた、冷たくて美味しい、山道を登ってきて、喉が渇いていたところだ。慶州のお寺でも湧き水をペットボトルに汲んだが、山の湧き水は透き通っていて、1週間経っても美味しいままだった。水道の水ではこうはいかない、1日2日で明らかに味が悪くなる。僕はこの湧き水を "ホーリーウォーター" (聖なる水) と名付けて、最後の一滴まで大事に飲んだ。何百年、もしくは何千年もの歳月をかけて、森と大地が濾過した水は、お金とエネルギーをかけて作った水道水とは違う、聖なる水に違いない。

しかし、この大地が作る地下水に値段はついていない。我々人間は好き放題汲み上げて、まさに湯水のごとく使っている。必要な分だけ、毎日少しずつ使う分にはよかったが、今ではポンプで絶え間なく汲み上げ、自然の供給量を遥かに上回って消費し続けている。それにより地下水位は年々下がり、井戸や湧き水、湿地帯や川が枯れるなどの現象が世界中で起きている。また、汲み上げるばかりではなく、人間は地下水の供給システムにまでもダメージを与えている。

農場やゴルフ場で撒かれる殺虫剤や除草剤、化学肥料、違法に、または事故によって流される工業排水などが、地下水を汚染する深刻な事態が起きている。何百年、何千年もかけて流れる地下水は、川の水とは違いすぐに入れ替わることはない。人間は地下水を汚染することはできるが、浄化し、もとの状態に戻すことはできはしない。これ以上の汚染を今すぐ止める以外、成す術はないのだが、汚染という破壊行為は今でも毎日続けられている。

海印寺の湧き水がいつまで清いままであり続けるのか、この水を我々人間は守っていけるのか、もしかしたらもう清い水ではないのかもしれない、僕はそんな事を考えながら、ゆっくりと喉を潤した。


読経

参道にたたずむ海印寺の門
青空に映えるお堂の屋根裏模様

雨雲はすっかり無くなって、透き通った青空に白い雲が浮かび、太陽が眩しい。森の中の参道に木漏れ日。道の脇には渓流、水の音が耳に心地よく、水面の乱反射が美しい。

静かな森の中に海印寺の門が現れた。韓国のお寺の装飾はどこもそうだが、エメラルドグリーンと水色、朱色が主な配色で、幾何学的な、まるで万華鏡を覗いた時のような模様が色鮮やかに描かれている。それは、森の木々や大地の自然色とは対照的で、一見、異質なものにも見えるのだが、木造建築のためか、派手な色使いではあるが静かな森の中に溶け込んでいた。

広い境内へ足を踏み入れると、まっすぐ伸びた石畳の道が、長い急な階段へと続き、その階段の先に大きな本堂が構えていた。境内にお坊さん達の姿はない。その急な階段を登り、本堂へ近づくにつれ、中から読経の声が聞えてくる。扉がわずかに開いていて、靴が何足か脱いで置いてある。僕は恐る恐るその扉を開き、中を覗いてみた。お坊さんが数人、正座をして、金色の巨大な仏像に向かってお経を読み上げている。後ろには檀家だろうか、それとも観光客だろうか、何人かの人達が手を合わせ、お坊さんが頭を低くするのに合わせて、平身低頭を熱心に繰り返していた。

僕は中へ入ってみたくなった。しかし、一心不乱に念仏を唱え、手をすり合せている人達に、「入ってもいいですか?」 と尋ねるわけにもいかない。まぁダメな時は追い出されるまでだ、僕はコソコソと邪魔をしないように、積んであった座布団を一枚ひっつかみ、隅っこの方に正座した。線香のいい香りが充満していた。3人のお坊さんの声が重なり合い、まるで歌のように聴こえる。韓国語なので、何を言ってるのかはさっぱりだが、もっとも、お経だから韓国語だろうが日本語だろうが、僕には分かりっこない。しばらく線香の香りに包まれ、お坊さん達の歌を楽しんだ。

見よう見まねで手を合わせ、お辞儀なんかをしながら、ふと、お堂の隅に目をやると、天井近くの壁の模様を塗り直している人がいる。あの万華鏡のような細かな模様を塗り直すのだから、さぞかし大変な作業だろう。天井まで高く組み上げた足場の上で、小さな筆をせっせと動かし、色の薄くなった模様を重ね塗りしていた。若い職人のようだ、ツナギを着込み、茶髪でスニーカーを履いている。お堂の真ん中では、大袈裟な袈裟を着込んだお坊さん達が読経を続けていた。お坊さん達はずっと昔から同じ姿なのだろうが、塗装を施す若い職人の姿は現代風だ。もっとも、わざわざ日本から来て、そこへ勝手に紛れ込んでいる僕のいでたちは、ジーンズに帽子、バックパックという観光客の見本のような格好だから、その場に一番似つかわしくないのは僕であるに違いなかった。


高麗大蔵経

お堂の壁の絵
ビッシリと並んだ板木

読経が終わり、一同振り向いて 「あんた誰?」 となる前に退散することにした。このお堂の外の壁面には、お釈迦様だと思われる人物が、貧窮する農民達から慕われる姿や、ふわふわ空を飛んでいたり、骸骨の転がる洞窟で瞑想する姿だとか、物語の断片断片が紙芝居のように、ずらりと描かれていた。絵はお堂の側面から裏面へと続き、反対側の側面まで続いている。大真面目な話には違いないのだが、古風でどこか面白い。僕はゆっくりと、一枚一枚の絵をすべて眺めてまわった。

ひたすら読経の続くお堂を後にして、お寺のさらに奥へと進む。この海印寺の目玉は "高麗大蔵経" (こうらいだいぞうきょう) だそうだ。経蔵 (仏の説法集)、律蔵 (僧院の戒律集)、論蔵 (経・律についての論釈集) を三蔵という。これらの三蔵をはじめ、すべての仏典を集大成したものを大蔵経と呼ぶ。つまり仏教に関する "何でも大辞典" のようなものだ。

しかし、ここにある、高麗何でも大辞典は他とは違う。紙の本ではなく、木の板の本だ。何でも大辞典の膨大な情報の一文字一文字を、もの凄い数の板に彫刻してあるのだ。しかも、ただ文字を彫っただけではなく、すべての文字が浮き彫りになっている。文字の部分を削るのではなく、文字の回りの部分を削り、文字を立体的に浮き立たせている。ただ文字を彫るのに比べて、並々ならぬ労力と根気が必要だろう。

一枚の板の大きさは、横50センチ、縦20センチほどで、びっしりと細かな漢字がならんでいる。この一枚の板木を完成させるのに、どれほどの時間がかかるのだろうか、この寺にはその板木が、なんと81,340枚もあるのだ。板木を納めた棚は、建物の奥の奥、横にも、後ろにも、天井裏にまで、ひたすら遠くまでびっしりと並んでいる。この八万枚以上ある板木の全部が一冊の本なのだ。

この高麗大蔵経は1087年に完成したが、蒙古軍の侵入で焼失し、1236年から16年をかけて、当時の崔氏 (さいし) 政権が蒙古撃退を祈願して復興させたという。つまり2回も作っている、執念である。幸いな事は、初版完成から第2版作成開始までには150年ほどの隔たりがあるので、製作に携わった人々が違うということだ。もし、すぐに焼けてしまって、「さぁ、もう一回作れ」 と、無情な命令などされようものなら、その苦行から逃れるために、僕なら敵である蒙古に亡命しかねない。一度作るのに16年、なんとも気の遠くなる話だ、昔の人はずいぶんと根気強かったか、限りなく暇だったに違いない。


加倉大輔2002-12-04 Wed 22:20 TrackBack
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