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出会い 電話の向こうの10年ぶりの声

釜山の雑踏

The Day 22 - 2002-11-28 Thu 22:32 Busan, Korea… The Beatles - Ob-La-Di, Ob-La-Da

ジャガルチ市場

市場のとある路地
市場のとある路地 その2

訪れた町を知りたいならば、その町に住む人々の集まる場所へ行けばいい。中でも市場はその町の顔とも言える。釜山のジャガルチ市場は、日常の買い物から観光客のお土産まで何でも揃う、様々な商店の密集地帯だ。10年前、僕はこの地を訪れ、その混雑ぶりと人々の生活の熱気に圧倒されたのを思い出した。しかし今回は平日の昼間のせいなのか、10年前に感じたような人々の逞しさを感じなかった。所狭しと商品を積み上げ、古めかしい路地に溶け込んでいたはずの商店の数々は、明るい蛍光灯の灯る、若者受けしそうな奇麗な洋服屋などに置き換わっていた。

市場の一角は映画館やファーストフードの店が立ち並び、ハングル文字を除けば日本の街並みと見間違うほどだ。10年前、着てる服を見れば韓国人なのか日本人なのか見分けができたが、今や韓国の若者達のファッションは、日本人の若者と変わりない。男も女も茶髪が目立ち、携帯電話をぶら下げて歩く姿を見れば、自分が外国にいるという感覚はほとんど無くなってしまう。また、こっちが見分けがつかないように、韓国人から見ても僕が日本人であることはわからないようで、行く先々でよく声をかけられた。

しかし様子がだいぶ変わったとはいえ、網の目状に広がる市場の奥の路地には、今でも10年前と同じ様子でひしめき合いながら軒を連ねる商店の姿があった。まるで迷路のような路地を歩いてみると、同じ商品を扱う店同士が集まっているのに気付く、カバン屋の隣はカバン屋で、電気屋の隣はやはり電気屋だ。これは買い物をする側にとってはありがたい、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしなくても、簡単に商品や値段を比べることができる。売る側にとっては当然客の取り合いになるので、店の前を歩く客への呼び込みには余念がない。客は一軒目の靴屋を無視しても、すぐさま2軒目3軒目の靴屋にも、もれなく呼び込みを受けることになる。


屋台

いくら呼び込みを受けたところで、今回ここへ来たのは別に買い物がしたかったわけではない。懐かしい場所をもう一度見てみたかったのもあるが、僕の目的は屋台で食事をすることだった。ジャガルチ市場のあちこちには、ちょっとした食事ができる屋台がたくさんある。市場に限らず、町のあちこちに屋台は存在し、韓国の人達が屋台の前で立ったまま食事をしているのをよく見かける。

韓国では日本のように店のオヤジと屋台越しに高いイスに座るようなところは見かけない。立ったままか、低いイスに腰掛けて食事をする。10年前、別の魚市場の屋台でアナゴのようなウツボのような魚を韓国人の友達と食べたのを思い出した。その時は低いイスで屋台のおばちゃんと七輪を囲み、膝と膝をつき合わせて食事をした。この市場にも同じような屋台がないか探したところ、市場の一角でイスを並べた屋台の集まりを見つけた。近づいていくと、さっそくおばちゃん達の呼び込みが始まり、どんなものを食べさせてくれるのか品定めをしながら歩き、一番目に付いた赤いドロドロに煮詰めた鍋を置いた屋台の前に座った。

店のバーチャンが "トッポギ" と教えてくれたそれは、細長く切った餅とアゲのようなものを一緒にコチュジャンで煮詰めたものだった。とりあえずそれを頼むと、お皿に山盛り出てきた。ちょうど隣に若い2人組の女の子達が座り、同じくトッポギを頬張り始めた。味はというと一度茹でた普通の餅の味で、後はコチュジャンの甘くてちょっと辛い味がひたすら続く。一緒におでんのスープをつけてくれるのだが、どうやらこのスープはおかわり自由らしく、隣の女の子達は、自分達が飲んでいたスープの器を、おでん鍋の中へジャブっと沈めておかわりしている。このおでんスープはとても美味しくて、僕も女の子達に習いおかわりを頂くことにした。

山盛りの餅をひたすらモグモグやりながら隣の屋台を観察してみると、隣はいろんな種類のキムチとご飯を出す店で、客が去った後の皿をおばちゃんが片付けているところだった。おばちゃんは客が残したキムチを何やら綺麗にまとめ始め、何をやりたいのかはすぐに分かったが、残ったキムチは元の山の上に戻され、次にやってきた客の皿の上にめでたく再デビューを果たした。その向こうの洋服屋では店のおばちゃんと客との間でケンカが始まり、怒鳴り声を張り上げて市場の雰囲気を盛り上げている。そうそう、10年前の記憶の中のジャガルチ市場はこんな感じの所だった。

僕の座った屋台には他にも餃子やおでん、チヂミなども置いてあって、本当はいろいろ食べたかったのだが、山盛りのトッポギに苦戦して大き目の餃子を1個追加するのが精一杯だった。十分にアゴが疲れてきたところで食べ終わると、バーチャンはさっさと僕の箸を取り上げ、タオルと呼ぶべきか雑巾と呼ぶべきか迷ってしまうようなそれで箸を拭き、再び箸入れの中へ戻すと、2,500ウォン (250円) だよと僕に告げた。

食事の後はやはりお茶だ。僕は次の屋台を探しに、再び市場の中を散策した。これもまた10年前に飲んだお茶だが、ゆずの実を皮ごと刻んで砂糖と蜂蜜を混ぜてビンに詰めて作った、まるでジャムのような "ユジャチャ"という飲み物があった。それをすこしカップに入れてお湯で溶かして飲むのだが、とても甘い味の中に少しだけ酸っぱさがあり、皮と果肉を食べると程よい苦味があってすごく美味しい。さっきまであちこちの屋台に置いてあったのだが、いざ探すとなると見つからない。だいぶ歩き回ってようやく発見し、値段が分からないので手のひらのコインをこっから取ってくれと突き出した。屋台のおじさんは人の良さそうな笑顔で600ウォン (60円) を拾い上げると、あたたかいそのお茶を僕に手渡してくれた。

僕はこのお茶がすごく気に入って、ビンごと買って行きたい衝動に駆られたが、どのビンも2キロくらいありそうで、飲み干すまでただのおもりにしかなりそうにない、せいぜい韓国にいる間に屋台でこのお茶を楽しむ事にしよう。


ボロボロの18才

別の日のある日、僕一人で貸しきり状態だったゲストハウスに日本人の長澤君が現れた。彼はやっと18才になったばかりらしく、僕とは逆でこれから日本へ帰る途中らしい、これまでに、中国、ラオス、タイなどアジア諸国を7カ月渡り歩き、モンゴルでビザ切れにもかかわらず潜伏中に、不法滞在の廉で強制退去させられてきたらしい。貰い物だというセーターは大きな穴が空き、スボンも破れていれば、靴も万遍なく汚れている。髪も伸び放題だったが、18才の若い艶のある髪と肌が着ている物とは対照的な清潔感を演出していた。

さっそくその日の夜一緒に食事に出たのだが、まず彼の食いっぷりには驚かされた。まるで1週間食べていないかのような猛烈な勢いで、次から次へと両手で料理を口へ運び、タダなら何でも食うと宣言し、付け合せのおかわりまでジャンジャン平らげてくれた。見ているだけでお腹いっぱいになりそうな僕は、その若い食欲と逞しさに関心しきりだった。

さらに僕を驚かせたのは、彼の荷物だ。まるで 「学校帰り?」 と尋ねたくなるような、小さな薄汚れたリュックが彼の持ち物のすべてなのだ。よくもまぁ、そんな小さな荷物で冬のモンゴルを乗り切ってきたもんだと、呆れるやら関心するやら… デジタル機器を目いっぱい詰め込んで、今日からでも仕事ができそうな僕の荷物とは、まるっきり対照的だった。

彼は何でも中学を卒業して大検に合格し、18才にならないと大学に入れないので旅行してきたという。日本へ帰ったらお金をためて、もうしばらく旅行をしたいと言っていた。


若者の集まる街

釜山大学の正門
釜山大学の正門

日曜日、長澤君の誘いで釜山大学周辺までご飯を食べに行くことになった。彼は釜山にはご飯を食べに立ち寄ったと言うだけあって、インターネットでしっかりと下調べを済ませていた。昼過ぎに大学近くの駅へ到着すると、そこは若者達の姿で溢れかえっていた。カルビを出す店へ入ったが、学生街の安食堂とは思えぬほど絶品で、丸いテーブルの中央に、やはり丸い鉄板が設えてあり、唐辛子とコチュジャンで味付けしたカルビをそこで焼いてくれる。肉だけを少し味わったところで、ご飯を投入し、こんどは焼き飯風に仕上げてくれる。コチュジャンで炒められた辛い肉とご飯が、食欲を倍増させる。あれはぜひもう一度食べたくなる味だ。

長澤君のリサーチでは、もう一軒行きたい店があるというので、夕食までの間、釜山大学へ行ってみることにした。日曜日だったので学生の姿はほとんどなかったが、広大な敷地の中を散策して、釜山の学生の学び舎を見て回った。10年前に僕は、釜山の大学生達の寝泊りする下宿先に泊めてもらったことがある。数人で狭い部屋に寝泊りしていた彼らは、朝の暗いうちから起き出し、いち早く学校へ出向いて図書館の机を陣取るのだ。暗くなるまでそこで勉強し、また次の日には夜明け前から図書館の場所取りを繰り返していた。その勤勉さに驚かされたが、今でも韓国の学生達はそんな生活をしているのだろうか。

北朝鮮との間で休戦状態にある韓国では、若者に兵役の義務がある。彼らは大学の途中で兵役に駆り出されてしまうので、兵役を終えて学校へ戻ってきたときには、それまで勉強したことをすっかり忘れてしまって大変だと苦笑していた。あれから10年、自国の経済の衰退により、北朝鮮の態度はいくらか軟化してはいるが、以前として休戦状態なのは変わりない。

しかし、この大学周辺の街並みの中で、青春を謳歌する若者達を見る限り、この国が休戦状態にあるようには見てとれない。着たい服を買い、食べたいものを食べ、インターネットや携帯電話を駆使できる生活は、あまりにも北側とは違いすぎる。日本は朝鮮半島を南北に隔ててしまった原因の一旦を担っている、いや、最初に朝鮮半島へ攻め入った日本の責任だとも言える。僕はこのことを考えるとき、いつか南北がひとつとなり、本来あるべき姿の国家となることを願ってやまない。

この街の若者達にはどんな未来が待っているのだろうか。日が沈み、辺りが暗くなるにつれて、大学周辺は若者達の姿で益々溢れかえってきた。僕らは夕食を済ませると、街の雑踏を後にし、宿へと戻って行った。


加倉大輔2002-11-28 Thu 22:32 TrackBack
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