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旅の始まり

The Day 21 - 2002-11-37 Wed 16:40 Busan, Korea… Cause & Effect - The Beginning Of The End

出国

釜山港の夜明け
フェリーのカフェテリア

揺れる船内、2等客室の薄いクッションの上で目を覚ますと、時計の針は午前3時過ぎをさしていた。他の乗客はまだみんな眠っている。窓の外に目をやると街の明かりが見える。明かりは上下には揺れるものの、横に動く様子はない。どうやら船は釜山港沖に停泊しているらしい、ここで朝を待つようだ。世界旅行の最初の訪問国、韓国。いよいよ僕の長い旅が始まった。

前日の夕方、博多港から船に乗り込んだ僕は、徹夜で出発の準備をギリギリまでやっていて疲れきっていた。船に乗り込むやいなやすぐに眠り込み、次に目が覚めたのはこんな時間だった。他の乗客を起さないようにこっそりと起き出して、パソコンを抱えてカフェテリアへと向かった。廊下の向こうからビデオゲームの音だけが、繰り返し繰り返しひとけのない空気の中で鳴り響いてる。

カフェテリアで最初の日記を書き終え、自販機で売っていたカップラーメンにお湯を注いでいると、スーツを着込んだ男性が韓国語で話しかけてきた。「ごめんなさい日本人です、韓国語はわかりません」 と英語で答えると、今度はすぐさま日本語でこう言った、「お腹が減ったのなら、外で釣りをしたらどうですか?」 僕は笑いながら、「外は寒いのでラーメンにします」 と答えておいた。

その人は呉さんといい、75才。地元の軟式テニスの連合会の副会長をやっているらしく、時々日本へ行っては軟式テニスの親善試合などを行い、テニスの普及や、草の根の日韓友好活動をしているらしい。日本のテニスコートは素晴らしいと絶賛していた、韓国では芝生のコートや室内コートなどはめったにないそうだ。

呉さんの日本語があまりにも達者なので、「日本語お上手ですね…」 とつい口から出てしまった。年齢を考えれば簡単なことだった、35年間という長きにわたり韓国は日本の植民地支配下に置かれ、母国語の使用を禁じられ、人々は日本語を強制的に習得させられた。年齢から考えて、呉さんはその最後の年代にあたる。しかし呉さんは、歴史を知らない日本からきた無知な若者に気を悪くするでもなく、自分が福岡で訪れた場所を事細かに説明してくれ、ガイドしてくれた友人がいかに親切だったかをたっぷりと話してくれた。

そして自分が書いたという、北から "北海道 青森 秋田…" と漢字で日本列島をかたどった達筆な書を僕にくれた。その上、自作のガイドブックや、これを食べなさいとカンパンまで、あれもこれもくれようとする。韓国を一周して上海へ渡るルートを考えてくれたり、お互い一通り話し終える頃にはだいぶ朝も近くなっていた。

着岸までのわずかな間、もう一度寝ることにして、また後でお会いしましょうと言って部屋へ戻ったが、残念なことに全員が一斉に下船する混雑の中では、呉さんにもう一度別れを言う機会は無かった。住所を教えてもらったので、どこかの旅先から絵葉書でも出してみることにしよう。


最初の国

釜山港へ着岸
竜頭山公園のタワー

いよいよ最初の国へ入国する、釜山を訪れるのは10年ぶり。懐かしいというより、昔過ぎて何も覚えていない。他にも朝を待っていた船があって、入国審査は一気に市場のような賑わいとなった。中には大きな荷物を背負ったバックパッカー達の姿もあり、その薄汚れた格好が、彼らが長い旅の途中であることを物語っていた。服もリュックもピカピカしている出発したばかりの僕とは実に対照的だ。

目的地へ到着して、まず最初の作業は宿を探すこと、国境を越えてきたので両替もしなくては。国際ターミナルなので両替はその場でできる、財布に残しておいたわずかな日本円をすべて韓国ウォンに換えた。宿はどうやってさがそうか、観光案内のパンフレットを一通り眺めていたら、Guest House の文字が飛び込んできた。ゲストハウスとは主に外国人向けの安宿のことである、シャワーやトイレは共同で、大部屋にベッドが並んでいるのが一般的だ。

いくつかゲストハウスの紹介があったが、その中で一番立派なパンフレットを手に取ると、コーヒー無料、朝食無料、インターネット無料で一泊15,000ウォン (1,500円) という値段。早速電話してみると、今夜空いているというので地下鉄を乗り継いで宿へと向かった。

目的の広安 (Gwangan) 駅構内を歩いていると、船で同じ大部屋に乗っていた女の子が大きな荷物を背負って歩いていた。尋ねてみると案の定、同じゲストハウスへ向かっていた。彼女は Yuki といい、僕と同じく韓国が彼女の世界旅行の最初の国なのだそうだ。これから1年間、ひとりで世界を旅するらしい。彼女の服もリュックもやはりピカピカで、僕と同じ新米バックパッカーであることを証明していた。


名前のわからない料理

宿は想像以上に綺麗な所で、オーナーもとても親切で居心地がよさそうだ。とりあえず1週間ほど泊まることにした。Yuki は先を急ぎたいらしく、釜山には1泊だけらしい。お互い重たい荷物を降ろし、お茶を飲んだところで昼ごはんでも食べに行こうということになった。

街を歩いて食べ物屋を探すものの、食べ物屋であることはわかるが、何を食べられるのかはハングル文字だけでは想像すらできない。いくらなんでも最初の食事でハンバーガーやピザを食べるのは、たとえ新米バックパッカー2人組みとはいえ軟弱すぎる。よくわからないまま適当な店を見つけて入ってみた。店の主人は、こっちが韓国語がわからないと知ると、手招きで僕らを店の外へ連れて行き、「写真の中から選べ、そしてこれに書いて持ってこい」 らしいことを言い残し、メモと鉛筆を渡して店の中へ戻っていった。

4品の鍋料理の写真があったが、店の中には多くの料理の名前が壁に書かれている。なるほど、字が読めない僕らは必然的に選択肢が4つになったわけだ。料理を選んで、僕らにとっては謎の暗号でしかないハングル文字をメモに書き取りはじめると、今度は店のおばちゃんが出てきたので、これとこれ2つ… と写真を指差して伝えた。おばちゃんは、2つじゃなくてひとつを2人で食べろというようなことを言ってきたので、素直にそうすることにして料理の登場を待った。

韓国では黙っていても付け合せの料理があれよあれよと運ばれてくる。そしてそれらはおかわり自由で、もちろんキムチは欠かせない。メインの鍋はすぐに登場した。写真では白いスープのはずだったが、明らかに唐辛子で真っ赤だ。そんなことはお互いに気付かなかったことにして、名前もわからない辛い鍋料理を二人でたいらげた。これから先、どんな料理かもわからないまま注文して、想像と違うものが出てきても美味しく食べ、名前がわからないので2度と注文できないということを繰り返しながら、僕らは旅を続けていくことになるのだろうか。それはそれで楽しそうではあるが…。


釜山の午後

海雲台海水浴場の午後

食事を終えた後、Yuki は近所を歩いてみると言うので、何の予定もない僕は一緒について行くことにした。広安の街はビーチに面していて、僕らが食事をした店の道路のすぐ向こう側には白い砂浜が広がっていた。さすがに11月のビーチは人もまばらで、どことなく寂しい雰囲気だ。僕らは地図を頼りに、海雲台という所を目指して歩き始めた。

海の上を渡る大きなつり橋や、巨大な団地のような建物があちこちで建設中だった。釜山の高層マンションはどれも似たようなデザインで、白っぽい色に統一されているようだ。画一的で面白味が無いような気もするが、街全体として見るとまとまりがあってすっきりして見える。僕らは話をしながら延々と突き進み、地下鉄の駅6つ分を歩いて海雲台のビーチへたどり着いた。広安のビーチとは違い、平日だというのに結構人が歩いている。ここでベンチに座ってしばらく休憩することにした。

すぐ横のベンチでは地元の老人達が将棋のようなゲームに興じていた。横から覗き込んでみると、丸い駒に字が書かれていて、縦線と横線の交差する位置に置かれている。将棋の王将の位置に "漢"、それを取り巻くように2つの "包" 恐らく金将の役目だろうか。離れた位置に "車""馬"、それぞれ飛車と角行だろう。そして "兵""士" がいくつか、歩と同じように一番小さい。ひとつ目を引いて面白かったのは "象"、朝鮮半島に野生の象はいない、ということはこのゲームは象を戦争に使った国から伝わってきたのだろうか。後で宿の主人に訊いたところ、このゲームは "ジャンギ"というらしい。


旅の始まり

蚕のサナギ バンテギ

地下鉄で宿へ戻った僕と Yuki は、お互いのパソコンを開いて早速メールを書き始めた。今やインターネットは世界中に広がっていて、どこからでも瞬時にメールを送ることができる、住所不定のバックパッカーにとって打って付けの連絡手段だろう。それにしても Yuki が僕と同じタイプの小型のソニーのバイオを持っていたのには笑った。「日本人はみんなソニーを持ってるのかって言われそうだね…」 いくら小型だとはいえ、わざわざ重たい思いしてパソコン抱えて旅行しようという日本人が、もう一人ここにいたことがすごく可笑しかった。

日もすっかり暮れた頃、夕ご飯を食べに外へ出た。宿のすぐ近所に一際目立つ看板の居酒屋があり、すんなりとそこに決めた。店は日本の居酒屋とよく似た感じで、焼き鳥のメニューも日本でみるようなものばかりだ。全品に写真があり、昼間のような苦労はまったくない。せっかく居酒屋へ入ったので、韓国のお酒、アルコール22%の "ソジュ" を飲んでみることにした。Yuki はかなりお酒が好きらしい、後日、彼女のウェブサイトの日記を読んだところ、フェリーの中でもビールを買って飲んだと白状していて笑ってしまった。

アルコールは、やはりどこの国でも高い飲み物なので、飲み過ぎないようにしないと旅行費用を圧迫しかねないと心配したが、彼女のホームページには 「世界各地のビールを味わう!」 という目標が書いてあって、あぁ、なるほど、必要経費ならしょうがないな、と妙に納得した。一応、その目標は冗談であると断ってあったが、「奴は本気だ」 と僕は確信している。旅の終わりには、どこのビールが美味しかったか、ぜひ彼女に訊いてみたいと思う。

居酒屋でもやはり付け合せの小皿がたくさん運ばれてきた。その中でもひときわ異彩を放つ、存在感たっぷりの料理があった。"ポンテギ" と呼ばれるその料理は、韓国ではごく一般的に食べられていて、その正体は蚕のサナギの佃煮である。味は何とも表現しようのない、お世辞にも美味いとは言いがたいのだが、Yuki が言うにはイナゴの味に似ているという。イナゴを食べたことが無い僕の中では、食べたくない物のリストにイナゴが自動的に加えられた。

しかし、世界各国を旅行して回ろうという人間が、そもそも食べ物の好き嫌いなど言ってられるわけがない。「好き嫌いはある?」 と Yuki が尋ねてきたので、僕はしばらく考えて 「サナギ以外なら…」 と、とりあえず答えておいた。

たった一日の出会いと、旅の始まりの最初の夜を祝い、僕らはささやかな祝杯をあげた。今日の疲れも忘れて、これまで自分達の歩んできた人生と、これから自分達が歩む長い旅路について話し込んだ。楽しいこともあれば、辛いこともあるだろう、嬉しい出会いもあれば、寂しい別れもやってくる。2本目のソジュが残り少なくなるにつれ、釜山の夜は深々とふけていった。

旅行者が集う宿は、出会いと別れが生まれる場所だろう。出会い、同じ屋根の下で生活を共にし、そしてまたそれぞれの道を歩み出す。

Yuki の出発直前に、あれもこれも持っていけと、役立ちそうなファイルを彼女のコンピュータに詰め込んだ。フェリーで出会った呉さんが、あれもこれも僕にくれたように、僕もまた彼女の旅立ちを精一杯応援したい気分だった。地下鉄の駅で握手を交わし、また世界のどこかで会えることを願って手を振った。今日から宿は僕一人だ、次は自分の新しい旅立ちが待っている。


加倉大輔2002-11-27 Wed 16:40 TrackBack
この記事の感想

旅の始まりは、こんな風なんだあ!
実は、4年後の君のブログを読んで、魅かれて
つい、旅のスタートを知りたくなりました。
まさか、4年後も旅が続いているなんて、信じられますか?・・・もう、地球の裏側に来てますよ。
Buck from the future ! over the 1,400days.あなたはまだ、旅を続けている。本当さ。信じられる?
君は生きてるよ。たくましく!世界旅行で一人旅 飛行機も使わず、きっと、あなたが、ダントツでしょう!
リアルタイムに想像をこえる世界が君を受け入れてくれた結果だね。私たちに不思議で 耐え難くて 親しみ深くて 忽然として 驚異なる 大自然と人間、
暮らし、治安 さまざまなハードルにぶつかり、超えてまた明日が来る。急がず、あせらず、国の生態が見えてくる。
すばらしいフォトと
読み応え十分な日記 ひとつひとつが驚きのメッセージです。世界地理の先生になったら大人気だよ。

トッポッキ2006-11-02 Thu 04:20

HI , I AM AIR.

I JUST SEE YOUR PHOTOS ON THE NET AND FEEL VERY AMIZEING ABOUT THE TRIP YOU HAVE MADE. ANYWAY, I WISH YOU LUCK IN EVERY TRIP YOU WANT TO MAKE, AND IT'S GREAT TO WATCH YOUR TRAVL STORY :)

A FRIEND FROM TAIWAN

AIR2006-11-03 Fri 18:07

旅のブログ、読み始めました。なんだか「ご縁」を感じてしまいます。yukiさんの「好き嫌いはある?」から、旅は始まったのですね。

旅人2010-09-23 Thu 01:19
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